3.11 東日本大震災から3ヶ月が過ぎました。
東北に親戚が住んでおり、海辺に暮らし、
日常的に海で遊ばせてもらっているものとして、
現状を把握し後世に伝えていかねば、との思いで
ボランティアを兼ねて宮城を訪れてきました。
石巻から南下し、阿武隈川流域まで訪れたのですが、
小さい頃から訪れた町が、
跡形もなく流されてしまった姿には言葉が出ませんでした。
逆に津波浸水地以外の倒壊等の
被害の少なさにも驚かされました。





石巻市 門脇町の住宅街。
鉄骨の建物だけが残り、
波打ち際には処理が間に合わない
ガレキが積み上げられた状態。

右側の少しでも標高が高い地域は津波を免れています。

一番左の住居が最も海に近いのです。
海に近い側の建物が流されないと、
その次の建物は流される確率が減るそうです。

余震があるだけで崩れそうな危険な建物は
まだまだ幾らでもあります。

壁に刻まれた海水の茶色の線で、津波の高さがわかります。

石巻ボランティアセンターに
集められた支援物資。

仙石線の東名駅。
線路が跡形もなく流されてしまっています。
代行バスはでていますが、
鉄道インフラが動かない限り復興への道は開かれないでしょう。

海沿いの田圃には海水(塩水)が流れ込んでしまい、
再生への道は遠そうです。
仙台駅周辺の市場では、
仙台産の大きくてとっても美味しそうなレタスが、
なんとか捌ききるためなのか
3個100円で売られていました。
話しを聞くと、ボランティアの力や物資に余剰がでているのに、
必要なところにそれらが渡らないのが現状。
「頑張りたいけど、頑張り方がわからない」状態は続いております。
にも関わらず、リーダーであるはずの政府は
復興への明確な指針提唱からの具体的な決定をせず、
ここぞとばかりに政権争いに奔走する姿を見ると
残念な気持ちになります。
そんな現状に失望し、独自で動き始めた
地方自治体もあるようですが
法を決める政府が指針を示さなければ手探りでしか進めません。
様々な問題は色々ありますが、
私個人の一番の懸念事項は、
今回甚大な津波被害があった地域に
住居を建ててはいけないのでは、ということです。
自分の立場に置き換え考えてみても、
故郷を捨てて、というのが容易ではないことは
重々承知していますが。
4月上旬には津波浸水地域の土地を国が買い上げ
国有化するなどの案がだされましたが、
現状は津波の影響で地盤沈下し大潮になると、
冠水してしまう地域ですら、
住人が戻りはじめている状態です。
このまま政府が具体的に動き出さなければ、
それぞれが思い思いに動き、
町には人が戻ってくることでしょう。
この時代を生きるものとして、
次世代の生活への責任があります。
失敗から何も学ばず、地震がくるたびに怯えて、
いずれ時代を超えて後世を被災
させるわけにはいかないのではないでしょうか。
原発周辺地域含め、浸水域の土地の利用方法に関しては
早急に政府に決定してもらいたいです。
ほんの一部分しか見ていないので、
全てがわかったわけではないですが、
メディアの情報と現状には大きな隔たりがあることがわかり、
自分の目で現地を見てよかったです。
東京から新幹線で二時間ちょっと。
今後も定期的に訪れてみようと思います。
スポンサーサイト
自分も東北は行くべきと思いながら今だ行けておりませぬ。せいぜい、浦安の今川地区までです。
なんか、自分のまぶたに焼き付けておかないといけないと思うんですよね。
Re: タイトルなし
浦安にはいかれたんですか、
今度状況を聞かせててください。
現地を訪れるとメディアから得る情報だけでは、
想像もつかなかった気づきがあります
ボランティアなどと気を張らずに
訪れてみてください。
コメントの投稿